~その時、地元新聞は何を伝えたか~

高齢協連合会では、岩手・宮城・山形高齢協と共催で、「岩手高齢協すずらん・復興支援の旅」を行いました。全国からの参加者と地元を含めて総勢42名の参加でした。大船渡にある「ホテル碁石」で大船渡市に本社をおく東海新報社の佐々木さんにお話を伺うことができました。当時の緊張した様子が伝わる講演でした。ご一読ください。

佐々木克孝さん/東海新報社 取締役編集局長

  東海新報社の創業は昭和33年12月です。エリアは、陸前高田・大船・住田町の二市一町です。
 昭和35年にチリ地震がありました。その時、弊社は海抜ゼロメートルに社屋があり、印刷機が使えなくなり、1週間まったく新聞を発行できませんでした。初代の社長は、相当悔しかったのだろうと思います。その後、高台に移転し、平成7年に現在の社屋になっています。海抜60メートルのところにあり、今回は津波の被害は一切受けず、翌日から発行を続けることができました。

■8ページの紙面を4ページに

e794bbe5838f20040-l 3月12日は号外を発行しました。A3版カラーコピーで2000部です。電気が来ない中で号外を出すことができたのは、震災の2年前に自家発電装置を設置していたからです。経営者の先見の明です。
 翌13日は8ページから4ページへ、紙面を減らしました。震災で、物流が滞って紙やインクが足りなくなっても、4ページにすれば、一週間分が2週間分として使えるという判断でした。
 4ページの東海新報を、3月中は無料で配布しました。配達所が流されて配る人がいない。配達先の家も流され、人もいない。つくった新聞は社員が避難所に手分けして配りました。

■埋め尽くされた安否情報

 4ページの半分の2ページが安否情報です。1000人~2000という人の名前です。誰が何処の避難所にいる。誰が亡くなった。誰が行方不明だ。避難所や役所・警察にある手書きの名簿をカメラで撮影して、連日それを掲載しました。
 避難所の人々はその安否情報が欲しいと待っています。家族は被災した時からばらばらです。互いの安否がわからない。みんな避難所にいるはずの家族の名前を探す。次は、死亡欄で亡くなった人の名前を探す。家族や友人知人の安否情報が欲しかった一番の情報だったんです。
 その次に求められた情報は、生活情報でした。どこへ行ったらカップラーメンが買えるのか。おにぎりは、水は、ガソリンを売っているのはどこか。生活をするための情報が欲しい。
 避難所での生活が落ち着いてくると、避難者からメモを渡されるようになりました。自分の情報を載せてほしいということです。警察情報も望まれた情報の一つです。遺体の状況を伝えました。どこで発見されたのか。何歳ぐらいの人か。男か女か。背丈はどれくらいか。どんな服装か。こうした情報を欲していました。
 家族を探して瓦礫の中をさまよっている人が沢山いました。特徴に覚えがあれば、遺体安置所を訪ねる。その情報です。
 この段階での新聞の役割は、現状や問題点など意見を伝えるという役割ではありませんでした。必要な情報は、美談でもありませんでした。安否であり、生活をするための情報でした。

■絶望の中でも「希望」を伝えたい

 3月は無料で配った新聞ですが、さすがに4月から通常の料金に戻しました。そこで、初めて4月1日の発行はカラーで特集を組みました。
 私たちの会社は社員が40名です。新聞記者は8名です。8名の記者に宿題を出しました。テーマは「子供と笑顔」です。全員が被災地にはいって写真を撮りました。子どもと笑顔が一番の写真をトップに大きく載せました。読者に瓦礫の写真だけを見せ続けるわけにはいかない。殺伐とした記事の中で、それでも、私たちは希望も伝えることがやりたかった。カラーで「子どもと笑顔」を載せることで、「希望」というメッセージを避難されている方々に伝えたいと思いました。

■地元新聞への期待

e694afe68fb4efbc92efbc90-l 震災前の発行部数は1万7500でした。二市一町で、世帯数が24000ですから2軒に1軒以上が読者でした。震災後は9000部と半減しましたが、現在は14000部まで回復してきています。販売部数が8割まで回復したのは予想外で、今も増えています。震災から半月の間、毎日避難所に届けた新聞が、去年の7月からは仮設住宅で読まれはじめています。避難所で毎日「東海新報」とインプットされたのが、増えた理由の一つかもしれません。ローカル紙として認知された思いです。全国からボランティの方々が大勢きました。そのボランティアで来た人の中で、自分の関わった地域の復興を知りたいと、郵送で購読してくれる人がいます。購読料は1年間の前払いです。
 本来は広告収入も見込むのですが、震災後は広告を出せる業者が地元にはいません。ですが、全国からの広告支援がありました。四日市市の産業課からの「仕事のない被災地から、わが街へというお誘い広告」もありました。人口流失に加担するような内容で複雑でした。>

■現在被災地でどんな課題があるか。

(1)仕事の問題が一番です。いろんな補助制度があります。一方で、9月で雇用保険や、医療費無料も切れる。復興事業の名の下で、地元企業にも仕事が回ってくるようになっていますが、人が足りない。被災者は仕事を考えているし、求人もあります。しかし、就職率が悪い。つまり、失業している人は何でもよいのではないということです。復興関連事業にはミスマッチが多い。結局、若い人は都会へでてゆく。人口流出です。陸前高田の人口はすでに2万人を切っています。大船渡は逆に増えている状況です。多種多様な雇用の場を一緒に考えてつくってゆく必要があります。

(2)二つ目は住宅の問題です。仮設住宅は1年延長となりました。自立で家を建てるとか、復興住宅に入るなど、選択肢はあるですが、情報不足で決められない状態です。計画が確立していないので、被災地がいくらで売れるのか分からない。当然、新しい土地が買えるかどうかも分からない。老人だけでは借金してまで立てたくないとなれば、公営住宅が選択肢になる。しかし、地域にとってプラスになる発想ではない。庁舎を建てても町ができるかどうかわからない。

(3)三つ目は子どもたちのことです。震災に遭遇した子供たちの今がかわいそうです。グランドに仮設住宅があり、体育ができない。早く元通りにしないと、精神的にもおかしくなる。教育環境を早く元通りにすることが必要です。防災教育も大事。三陸沿岸は他よりの先進地。津波が来たら高台には当たり前のことです。

■新聞の役割とは

 新聞の役割は伝えてゆくことに尽きると思います。書いた記事が記録になる。50年後500年後にまた津波がくる。将来のために何を残すことができるのか。新聞に問われていることです。忘れられることが怖い。大きな事件が様々におこると、被災地の状況をつたえる時間が少なくなります。復興したと思われてしまうのが怖い。被災地の状況をつたえて欲しいと思います。伝えて頂くことが、被災者・被災地が一歩づつ次の段階へ行くことにつながると思っています。(以上:文責坂林)