三重県健康福祉生協よりまごころを岩手県へ 6月30日~7月3日

 4月に東北援助隊の活動後に岩手県高齢者福祉生活協同組合等より支援物資(冷蔵庫や洗濯機や野球用品など)などの要請を受けました。

 その要請をできる範囲で整えるために三重県健康福祉生協が中心となり、労協グループみえの各事業所(「ひだまり」「ベルはあと」「協和苑」「夢虹房、事業団」「松阪事業所、本部」)の職員たちが自分たちの『まごころ』を義援金に託しました。また、地域の方たちにも声をかけて、その行動に賛同していただいた地域の方たちからも義援金や支援品の提供を受けました。「少しでも東北の方たちの生活に役立ちますように」「三重県もいつ同じようなことになるかもしれないので、そのほんの気持ちです」「一人はみんなのために みんなは一人のために できる範囲で募金をします」等とそのようなまごころの輪が広がっていきました。

 その結果、義援金は約14万円近く集まりました。また、軽トラックも格安で提供していただき、それらの支援物資や品物等を三重県から岩手県へお送りすることができました。

(写真1)2011年6月30日 岩手県に向けての出発前の様子。岩手県に向けての出発前の様子。無事に岩手県に着きますように!みんなの願いとまごころを載せて出発します。1
(写真2)2011年7月1日 岩手県陸前高田市を走行する軽トラック(支援車)に冷蔵庫と洗濯機などを載せている。(伴走車より撮影) 三重県松阪市から岩手県大船渡まで1200km。2

 岩手県陸前高田市立小友小学校に到着。ある小学生は軽トラックを見て、

 「これ(軽トラック)で、来たの?!へぇー1200km!冷蔵庫や洗濯機をのせて?!」と目を丸くしながら驚きの声を上げていました。(写真3)

 また、小・中学校の生徒や先生たちから「遠路はるばるありがとうございます。野球用品や数々の品物などを大切に活用します」など、総出で学校の玄関口で喜びのメッセージをいただきました。(写真4)

 中学校は津波の影響で使用できず。小学校の教室を中学生が間借りして学習に励んでいました。ある地元の父兄より運動場は津波の影響で使用できない状態でしたが、自衛隊や地域の方たちの力も含めて整備を行い使用できるようになりました。幸か不幸か津波の影響で運動場は仮設住宅に適さず。他の小中学校と違って運動場が活用できたとのこと。運動場の眼下は田園風景だったが、まだ瓦礫があちこちあり、自衛隊などが重機で整備を行われていました。(写真5)

(写真3) 2011年7月1日 岩手県陸前高田市立 小友小学校玄関前にて3
(写真4) 2011年7月1日 小友小学校にて 中学生野球部代表者に贈呈。4
(写真5) 2011年7月1日 小友小学校の校舎花壇より 整備された運動場。 その眼下には重機による瓦礫の撤去作業が続いていた。 この花壇も津波に浸るが、きれいな花を咲かせていた。5

 小友スポーツ少年団の人たちに野球用品をお渡しする。「すげぇー!」「やったー!ありがとうございます」等と子供達は大変喜んでいました。

監督より「本当なら子供達に伸び伸びと野球をさせてやりたい。でも、他の競技団体や地域のスポーツ団なども活動できる場所がないので、ここを利用している。みんなお互いに融通しあって活用しているのが現状です。欲をいうときりがないけれど・・・でも、ここでみんなでできるようになったのはとても幸せですよ。今までは練習不足だったけどしっかりと練習をして、三重県のチームに負けないようになりますよ。」と笑顔で話してくれた。(写真6)

(写真6) 2011年7月1日 小友スポーツ少年団 野球用品を贈呈 「練習場所が空き地の広さぐらいであまりないけれど、くじけず頑張っていきます」と笑顔で話してくれました。6

  「本当に持ってきてくれたのですね!ビックリしました。軽トラックに冷蔵庫と洗濯機を有効活用します。この作業所で地域の方たちも含めて共同で活用させていただきます。」と笑顔で相談員の方が話してくれた。「本当は行政の支援があれば良いのですが・・・なかなか難しいもので・・・。」と少し溜息混じりに話された。「でも、ようやく地元の店も開店し始めたのよ。4月頃は1件だったけど、今日オープンした店も含めると4店できたのよ。後は、経済が活性化するといいけどね・・・。」と意味深長に話していただけた。
(写真7、8、9)

(写真7) 作業所にて昼食 地元のオープン店にて購入。 「味もしっかりしており、おいしかった!」 大勢の買い物客もあり、上々の滑り出しとのこと。7
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(写真9)作業所に冷蔵庫を置く。9

 仮設住宅にて陸前高田市消防団本部長にお会いする。叔母の家でお世話になっていたが、2週間ぐらい前に仮設住宅の抽選が当たって入居できたとのこと。

 ここの仮設住宅は2DKで5人(両親と夫婦と息子)が暮らしているとのこと。「仮設に移ってほっとしているが、やはり、家も船も車もすべて流されて何もない。その中で、いろいろと支援を受けて涙が出るほどありがたい。ただ、今回の震災で消防団員が約50名近く亡くなった。残された遺族は本当に困っている。それなのに殉職した団員への消防団員福祉共済の弔慰金が、資金不足により、2700万円から1100万円へと減額される。なんとかならんものか。」等と消防団活動の話も含めて話してくれた。

 自分も消防団に入って家族もいる為、もし、残された家族のことを思うと減額せずになんとか年数がかかっても満額だしていただけるようにしていただきたいものだとつくづく感じた。(写真10)

(写真10)2 011年7月2日 仮設住宅にて 屋根が短いため雨が降ると入り口が濡れるとのこと。 避難所よりは良いが、隣部屋の声が響くとのこと。10


【東北支援について(岩手県大船渡市 岩手高齢協すずらん)等を訪問して】

実施時期:前回4/17~22  今回6/30~7/3  次回10月頃の予定


なぜ支援を続けるのか?そこに仲間がいるから。(私達ができる範囲で)
一人はみんなのために みんなは一人のために
息の長い支援が必要であると、私たちは思う。


今回7/1-2に大船渡(すずらん)を中心に前回に訪問した所等へ物資を届ける。

①すずらん新規作業所      ②小友小・中学校
③小友スポーツ少年団 野球部 ④小友保育園
⑤前高田市消防団 本部長   ⑥避難所

 今回で、私(脇田献二)は2回目の訪問となる。現地を車で移動中、復興へ向けて一歩一歩進んでいることを感じた。

 ただ、初めて訪問するメンバーからは、「全く復旧復興していないな。これから本当に復興するのだろうか?」と溜息まじりの発言に感じ方の違いを考えさせられた。

 私たちでさえ、感じ方や考え方が違うのだから現地ではかなり感じ方を含めた価値観の違いが顕著に現れていた。特に、今回強く感じたことは3つです。

 1、無償ボランティアは必要悪なのか?

 現地の登録ヘルパーさんが「本当はありがたい話なんですけど、誠に言いにくいことですが、私たちヘルパーにとってはとても困っております。」一言で言えば、働きたいけれど県外からの無償のボランティア(介護福祉士、ヘルパー2級、理学療法士等)団体に私たちの仕事をもっていかれている現状とのこと。

 当初は自分達の暮らしを守るだけで精一杯であったが震災から2ヶ月もすると、それなりに落ち着いてきた。そのため、働こうと思ったが仕事が無い。今回のように現地の利用者にとって「無償」と「介護保険料の1割負担」では、低所得の人程、やはり無償を選ぶ方が多い。もちろん中には「1割負担」を選択していただける方もいるが、福祉を利用する人の多くは現金がほとんどない。

 気持ちとしては、働いてくれる地元民を応援したいがその1割負担が大きな壁となっているそうだ。そのような話は、瓦礫の撤去作業などにも現れている。

 やはり、それらを調整してくれる公的機関などが必要と思われる。県外の無償ボランティアが現地の仕事を奪うことがないように、そのして復興の妨げとならないように。

 2、義援金は地元に落として役に立つ。

 今回、軽トラックや冷蔵庫や洗濯機や野球用品などを現地に届けました。4月20日の時点では軽トラックの10年落ちが70万円で売っていました。今回は、そのようなこともなく軽乗用車なら30万円ぐらいで売っており価格もある程度は落ち着いていました(それでも三重の相場の10~15万高、三重から岩手への陸送費用が約5万円/1台なので、陸送費用を差し引いても5~10万高か?)。

 しかし、軽トラックは店頭には見られませんでした。食品店なども1店だったのが4店に増えていました。だいぶ流通も進んでいるけれど、昔のような活気を取り戻すにはこれからだ。是非、良き製品や品物もでてきているので岩手県の応援も含めて、現地で購入や観光などをして下さいね。と現地の人が笑顔で話してくれた。

 やはり、今後の支援では、義援金などをしっかりと集めて現地の商店街で必要な品物を購入し、その品物を現地の必要とする方たちにお渡しすることが大切ではないだろうかと感じました。

 3、組織(コーディネーター)がしっかりしていると市民は安心。

<A市とB市の違いについて>

B市に住む主婦が愚痴っていた。

「『役場に言いに行ったけど、相手にされなかった。みんな我慢しているので、瓦礫の撤去は順番が来るまで待ってください。だって・・・』でもね、ある声の大きな人(地元の有力者)が言うと、途中までしていた作業を辞めて、言われた箇所を早くするのよ!もう、どういうことかしら・・・重機を途中で移動させるだけでも大変なのに・・・その上、また遅れてしまうのよ!全くどうなっているのかしら・・・。ここでは、自治会はあるけれど自治会間の調整と行政との調整がうまくいっていないのよ。やはり、行政と自治会等を調整する組織があるA市は良いわね。」

A市に住む主婦は、

「そうね。そう言われてみると、B市と違ってこちらは個人が行政に言いに行くことなんてめったにないわね。もちろん、今だから言えるけど当時はその組織を作る時、ものすごく大変だったそうよ。自治会の方も既得権や様々な権利を剥奪されるなんて言って、絶対反対一色。これ以上、行くと死人がでるなんて。でも今は、自治会や様々な団体をまとめる組織(コミュニティ)があって、行政と調整をしてくれるから私たち住民は安心やわ。特に、この前の『罹災証明書』の発行では、必要な時に市役所へ取りに行けばよいと通知があったから、まだ取りに行っていないのよ。」

B市:

「本当に!私なんて急いでB市の窓口に行ったわ。とても混雑していて大変だった。今思えば急いでいかなくても良かったのに。B市ではそんな通知もないし、連絡もない。情報がないから個人で取りに行かないといけない。自治会に聞いても『行政からの正式な文章は来ていない』って口頭では言っていたけど実際はわからないなんて言われたわ。だから、今は県外の団体からいただけた無線(電波の飛ぶ)パソコン。それを知人を通じていただけたのでそれを使用して情報を集めているのよ。でもね、個人で情報を集めるといっても限度があるわ。できればA市みたいなコミュニティがあれば助かるのに・・・。」

 私(脇田)の感想としては、確かに今はとても助かっていると実感できた。行政からの情報⇔コミュニティ⇔各団体や各自治会⇔住民(会員)この流れがきちんとしているから対応が遅いときも時にあるけれど結果をきちんと伝えてくれる安心感がある。

 前回に訪れた時も感じたが、やはり現地の必要なことや情報は日々変化している。今回もそうであった。また、とても話しにくいことを率直に話していただけた。やはり、人と人との信頼(組織の信頼)していただいているからだろう。その信頼を継続できるように。また、この貴重な話を松阪市や津市や三重県等でも役立てていただきたいと強く感じました。(できる範囲で)

2011年7月11日 脇田献二