平和への思い・伝えたいこと

河内 道治

 昨年、庭の皇帝ダリヤがきれいな花を咲かせた。写真も美しい。今年出た芽が大きくなり始めている。
 森公園の菜園に育てた玉ねぎが五月末の収穫を待っている。先日一個を料理に使った新鮮なものは美味しい。
 花や野菜作り、音楽を楽しめるのも戦争の無い平和な国だからであろう。
 平和とはいえ、安倍首相が安全保障体制や憲法改正を目指して悪法を作り、自衛隊が海外で米国と一緒になって戦争の出来る国にすることに深い憤りを感じる。新聞の世論調査でも半数以上の人が危惧している。

 日中戦争(支那事変)、5・15事件、2・26事件と続く時代に生まれ、戦時中(昭和18年)の小学校(当時は国民学校)に入学し、三年生の夏に終戦を迎えた。
 小学校時代の物資の不足と社会の不安定のため、自由に出かけたりすることが少なかった。
 日常生活では食べ物が少ないために畑づくりに出かけることが日課だった。
 戦況が激しくなり、沖縄に米軍が上陸後は国内に連日のようにB29による爆撃が始まり、畑の隅に掘った防空壕に入る日が多くなった。授業中にあった場合は運動場の隅に掘った屋根の無い壕に入った。登校には防空頭巾の携帯が義務付けられていた。
 神社に集合の日、頭巾を持って行かなかったのでひどく怒られた。
 東郷小(現在の宗像市田熊)は東郷駅の近くにあり、田園地帯の学校だった。現在の日の里団地はなかった。東郷町は宗像郡の中心地であり旧制の中学校(現在の宗像高校)と女学校があり、女学校は宗像高に統合された。教職員住宅が小学校の近くにあった。
 この住宅に昭和22年春まで住んでいた。今は分譲住宅になっている。
 住宅の一つに派遣大尉がいて、何かと緊張感があったがよく遊びに行き可愛がられた。
 隣家の図画の先生宅には同級生がいたのでお邪魔することが多かった。

 最近読んだ本(作者はこの先生の旧制八女中学での教え子)の中に、美術史の中で先生が「自由」を強調する部分は作者と同様に感銘を受けた。本の題名は「青い日々」。作者の自伝的小説で、教師友人とともに日本の戦時中の歴史的背景の中での生き様を描いた意味のある作品です。
 作者より一回り若いけれど、戦中戦後を生きてきたものとして、後世の人に語り継がねばならないことが多くあることを共通の土台にできる作品です。
 日本の敗戦が色濃くなり、小学校や村の公民館にも軍隊が常駐し、戦時一色になった。
 三年生になって竹槍訓練が始まり、小さな少年までが軍隊の予備兵化することになった。
 中学生の兄は連日砲台の陣地づくりに玄海灘に面した山に動員されていた。米軍は沖縄の次は鹿児島の志布志、そして福間海岸に上陸する作戦であった。そのための備えの陣地作りであった。
 福岡市と八幡の大空襲は大被害であった。両方の空襲とも空が真赤になるほどで、頭上にはB29が遠慮なく八幡方面に飛んでいた。

 20年8月15日の終戦日は暑い日で、聞こえにくいラジオの前で玉音放送を聞いた。大人達は頭を下げ、子供達も同じであった。
 それからの生活は、食糧調達のために着物と交換に農家へ、満員の電車に乗って買い出しへと畑作りと、ともに大変であった。
 戦後の23年4月に父の転勤で母の里である門司に移住した。
 昭和25年に始まった朝鮮戦争で門司港の岸壁は米軍の戦車と帰ってくる白棺で埋まっていた。連日の新聞は戦況を伝え、小倉では脱走兵による強奪事件も発生した。
 中学3年生の社会科の先生が与謝野晶子の詩「君、死に給うことなかれ」を解説したことは頭にこびりついている。

 今、日本は戦争か平和かを問われている重大な時であり、憲法改正を目指した安倍暴走政治はなんとしても阻止しなければならない。若い人々に戦争体験を少しでも伝えることが戦中戦後を生きたものの責任であろう。