亡き友には語れない平和への切ない願いを、毎年夏が来ると思い出します。

炎天下の中国の中支那、私の26才の夏、ある日突然無条件降伏。唯一瞬で占領軍から捕虜生活。奈落のドン底に突き落ちた。唯呆然。耐えに耐え、耐えしのぶと合言葉にし、昭和21年3月末上海の港を出た時、初めて日本に帰れると思った。日本の南島々の山桜を復員船の左舷に見た時、美しかった記憶は、今も忘れない。

私は、昭和11年春旧制の実業学校を卒業。6人兄弟の三男、不況で働く場所もなく兵役を早く済まそうと、17才の夏、陸軍を志願し、18才の昭和13年1月10日、善通寺の騎兵連隊に入隊。

当時幹部候補生に合格すれば2年の兵役が1年で退役ができ、私は乙種の幹部候補生に合格したが、入隊した7月から戦争。私達同時入隊を含み、四国の部隊は敵前上陸を実施、沢山の戦死を出した。永い戦争が始まり、私の敗戦は中国。同時入隊の新兵85名中、終戦まで生き残りは、僅か10名位。75名はビルマ、ニューギニア、中国に送られ、ニューギニアは1人の生存者もない。皆、25才前後の優秀な立派な青年達。遠い異国の山野に屍をさらした無念さ・・・。

二度とないよう亡き友に代わり叫びたい!

濱田 經宇 96才