今回は、沖縄高齢協の真栄里副理事長からの文章をご紹介させていただきます。
『高齢協連合会ニュース』№85の三重県津市の空襲の記載と関連して、沖縄と本土各地の空襲について記します。



 日本各地に空襲があったことは忘れることはできません。
しかし、その日本空襲は沖縄からも行なわれていたことは、あまり知られてないでしょう。

 沖縄に上陸した米軍は沖縄戦を闘いつつ、日本軍がつくった沖縄各地の飛行場を修理整備し、8月15日に日本がポツダム宣言を受託するまでの間沖縄から本土空襲を行っていた。
沖縄戦と各地の空襲は連続した戦争であったのだ。

 東京空襲を記録する会が調査して判明している沖縄からの空襲は、次のとおりであるが、現在の米軍基地は日本空襲の基地でもあったのだ。

日本本土空襲の基地だった沖縄の米軍基地

本土空襲の始まり 1942年 東京
沖縄からの空襲
1945年4月16日 九州南部飛行場     100機   
     5月28日 南九州              70機
     6月2日  南九州飛行場          260機
     6月3日  南九州                  172機
     6月6日  南九州                 300機
     6月29日 房総勝浦 機雷投下          2機
     7月3日  高松                 130機
           高知市内               131機
           姫路市内 淡路        107機
           徳島市内              137機
     7月6日  千葉市内           134機
           明石市内              133機
           清水                   137機
           甲府                  130機
           和歌山下津            60機
     7月10日   熊本八代         140機
     8月6日   広島原爆
     8月9日   長崎原爆 原爆投下の帰途 沖縄読谷に飛来
     8月10日   熊本・大分・宮崎    210機
     8月12日   久留米         150機
           佐賀           不明
           松山           85機
空襲の最終8月15日 関東地区

 沖縄戦の前までは、沖縄は軍事施設がない無防備の島だった。南方での日本軍の敗北後、日本は住民を総動員して、伊江島、読谷、嘉手納、牧港、首里石嶺、泡瀬、宮古、八重山そして那覇飛行場を増強していった。
しかし、日本は配備する飛行機がなく、沖縄戦直前これらの飛行場を壊していった。その飛行場を本土攻撃のために米軍は活用したのである。
また、それでも足りないと新規につくったのが今の普天間飛行場である。普天間基地は、住民が戦場を逃げまどい、或いは捕虜収容所に入れられている頃に、本土攻撃の基地として米軍が作った基地である。
普天間飛行場が完成し飛行機が飛び立ったが、それは8月15日だったという。

 現在の米軍基地は、そのほとんどが日本軍が作った軍事基地なのだ。
 そして戦後、本土から分断された沖縄には、朝鮮戦争後、本土各地の米軍基地が移駐して来たというのが実態だ。
今の辺野古のキャンプシュワブも、1956年に本土から海兵隊が移駐するためにつくった基地である。
その上、日本に復帰すると自衛隊までが配備され、沖縄はいよいよ軍事基地の島になってしまったというのが経過である。
普天間飛行場は「世界一危険な基地」と認めながら、それが戦後70年老朽化したから新しい基地を日本政府が全額負担してつくってあげるというのはいかにもおかしな話である。
即時閉鎖して返還させるというのが、日本政府がとるべき正しい政策であろう。