五洲さんから聞いたこと・学んだこと

戦後70年にあたり高齢協で「平和の発信事業」が実施される中、今は亡き中西五洲さん(前三重県健康福祉生協会長理事)から事あるごとに聞かせていただいた「三重県津空襲」の話が思い出されました。

 1922年生まれの五洲さんは、戦争に疑問を持つ友人たちとともに、当時、反政府的といわれた雑誌を読む「読書会」を行なっていたそうです。
 そのことから1943年に治安維持法で検挙され、1945年の津空襲当時は津市の三重刑務所に拘置されていたそうです。
 半年続いた津空襲で一番ひどかったといわれているのは、1945年7月24日の空襲で、津市中心部に無差別攻撃を受け、犠牲者は死者約1,200人、負傷者約2,000人にのぼったそうです。

111 「1945年7月24日の昼頃、『ウーウー』とサイレンが鳴ってな。『また(爆撃機が)来たな』と布団を被っておった。グラマンの空襲や。火薬のにおいがしてふと見ると、爆弾が落ちてな。2階の一部が壊れて1階の独房から空が見えたんや。刑務所の中は滅茶苦茶で、廊下に出てみたら看守や囚人7、8人が亡くなっとった。私は折良く壊れた塀を乗り越え、友達と2人、岩田川の船着場に隠れとった。『このまま逃げるか?』『逃亡してつかまったら殺される』『こんな囚人服ではすぐに捕まる、ちょっと慎重にせなあかんわな。』などと話しているうち、看守が『戻れ』と言いに来て、結局刑務所に追い返された。それから4,5日してから夜中に焼夷弾爆撃を受けた。花火と一緒やった。焼夷弾が花火のように落ちてきて焼けたんや。」

222 空襲を受けた刑務所の様子をリアルに話してくださった声が今も聞こえてくるようです。

戦争体験を話される方が確実に減っていく今後に向けて「事実を伝え、広め考える場を作る。そんな運動を!」亡くなる寸前までそう言われていた五洲さん。もし、健在であれば今の安倍政治に対してどのような意見を述べられただろうかと思います。

2ヵ月後には3回忌を迎える五洲さんを偲びながら、五洲さんから聞いた戦争体験談を伝えることと平和の発信事業を今後も続けていかなければならないとお盆の時期にあらためて思い直した次第です。

合掌


三重県健康福祉生活協同組合 専務理事 間柄 和也